「進行性核上性麻痺ってどんな経過をたどるの?」
こんにちは!進行性核上性麻痺の父を姉妹たちと介護している、四人姉妹の三女のもよです。
父は、今86歳。
要介護5でベッドに横たわりながら、自分で動くことはほとんどできず、しゃべれず、字も書けない状態です。(2020年6月現在)
できないことがほとんどですが、でも、がんばって生きている父。
進行性核上性麻痺の父は、病気の診断を受けてから今までどんな経過を辿ってきたのか・・・。
病院の診断書や領収書等をひっくり返して、病気の経過を思い起こし、ブログに書いてみました。
あくまでも我が家の場合、「病気と付き合う」という感じ。
「闘病」という苦しいイメージよりも、自然に・・・を目指しています。
この記事では、父の進行性核上性麻痺の経過とともに、病院を選んだ経緯や使用した福祉用具等の情報もお伝えします。
進行性核上性麻痺 のご家族に参考としていただけるよう、随時更新する形で情報を追加していけたらと思います。
(その後父は、2021年5月に永眠しました。下記にすべての経過を記載しています。応援ありがとうございました!)
では早速、父が辿った進行性核上性麻痺の経過を見てみましょう。
- 進行性核上性麻痺の父の経過
- 2014年1月(79歳)後ろによろめく症状が出始める
- 2015年11月(81歳) 地元の脳神経外科初診
- 2015年12月~2016年1月(81歳) 総合病院受診&確定診断
- 2016年5月(81歳) 要支援2認定
- 2016年12月(82歳) 要介護2認定
- 2017年6月(83歳) 転倒して救急車搬送・入院1回目
- 2017年7月(83歳) 転倒して救急車搬送・入院2回目
- 2017年8月(83歳) 要介護4認定
- 2017年11月(83歳) 身体障害者手帳交付
- 2018年1月(83歳) 要介護5認定
- 2018年2月(83歳) 月1回の訪問診療開始
- 2019年5月(84歳)誤嚥性肺炎で3回目の入院
- 2019年5月(85歳)ショートステイをやめて訪問入浴開始
- 2019年6~7月(85歳) 誤嚥性肺炎からの回復を図る
- 2019年7月後半~10月(85歳)車いすを変更
- 2019年11月(85歳)初めての胃からの逆流
- 2019年1月(85歳)訪問栄養士さんによる栄養指導開始、口腔カンジダ発生
- 2020年6月(86歳) 口腔カンジダ2回目発生
- 2021年2月(86歳)消化器穿孔と肺炎
- 2021年4月(86歳)肺炎再発
- 2021年5月(86歳)父が天に召される
- まとめ
進行性核上性麻痺の父の経過
2014年1月(79歳)後ろによろめく症状が出始める
健脚が自慢だった父ですが、なぜかよろめく症状が目立つように。
家の中で後ろに倒れそうになって壁にもたれたり、転んだり…
他にも、こんな現象が。
- 年賀状を印刷して用意しておいたのに、一枚も書かず!
- 固定資産税の滞納通知が届いた!
- 余裕がない様子で、突然怒り出す!
- 趣味だった新聞の切り抜きが、間に合わなくて新聞が山積みに!
父の様子がおかしい!と四姉妹でざわつき始めました。
普段はまめできちんとしていたのに・・・
孫へのお年玉も、毎年ポチ袋に入れて送ってくれたのに届かず。
認知症の母の介護疲れかな、とも思いつつ、様子を見ていました。
このころの状況は、こちらの記事にも詳しく載っています。次女のちゅうちゃんがまとめてくれました。
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2015年11月(81歳) 地元の脳神経外科初診
地元の脳神経外科初診。
脳のMRIを撮影し、状態を見てもらいました。
まずは、初診までの経過をお話しますね。
受診することにしたきっかけ
受診することにしたきっかけは2つ。
- 言葉がでにくく思考が回らない感じで、判断力や理解力がガクッと落ちた
- 転倒することが増えてきた
そういえば、当時同居していた四女けろたんが帰宅したら、認知症の母と二人でソファーの下に倒れたままになっていたことも(;´Д`)
そんなこんなで、父も母の施設入所を決めたのよね・・・
他にも、上唇から鼻の下が引きつっていて、上唇が下ろせないみたいに!
倒れたり顔が引きつったり、ただの認知症ではなさそうな、不思議な現象が起きてました。
次に、病院を決めた経緯を見てみましょう。
地元の脳神経外科を選んだ理由
認知症を疑うような「理解力」「判断力」の低下に加え、
- 後ろに転倒しやすい(しかも転倒の仕方が、木を切り倒すようで派手!)
- 言葉がでにくい
ということから、脳神経外科か神経内科的かな・・と当たりをつけました。
認知症の母の場合は、始めから認知症だけを想定して鑑別診断を受けましたが、父の場合はただの認知症ではない感じが最初からあったんです。
大きい病院は情報提供書(紹介状)が必要。
その個人病院の脳神経外科の先生は、総合病院の脳神経外科で多くの症例を扱ってきた先生で、クリニックで予約なしでMRIをとってくれることを聞いていました。
信頼できそうな先生であることと、父の気が変わらないよう、初診で検査ができるほうがいいと考え、その個人病院にしました。
個人病院での診断結果は?
進行性核上性麻痺の疑いがあることが告げられました。
同行した次女ちゅうちゃんが「思考が回らないようなんです」と先生に伝えたけたところ、ずばり「それを認知症というのですよ、ははは」みたいな感じに言われました。
お父さん、黙っちゃってたなぁ・・・
その後、確定診断までに、二つの大きな病院で脳の血流検査等いろいろな検査をしました。
この時に四姉妹が動いたことについて、詳しくはこちらをご覧ください。
次女のちゅうちゃんがまとめてくれました。
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次に、地元の脳神経外科から紹介された総合病院で確定診断を受けた経過をお伝えしますね。
2015年12月~2016年1月(81歳) 総合病院受診&確定診断
1ヶ月後に、地元の脳神経外科から紹介された総合病院を初診で受診しました。
進行性核上性麻痺の疑いだったので、確定診断が可能な特定医療(難病)の指定医、神経難病の専門医がいる病院を紹介してくれたのよね。
診断結果が伝えられた時、病気の説明があり、食べれなくなった時に延命措置どうしますか?との質問もありました。
初診の翌月、総合病院にて、2週間の検査入院をし、進行性核上性麻痺の確定診断を受けました。
本人は、「自然に自然に…」と答えていました。
家族の立ち合いを求められて次女ちゅうちゃんと2人で行きました。
2016年5月(81歳) 要支援2認定
退院後、自宅でこれまで通り過ごしていましたが、病気の診断もあり、介護保険の要支援2の認定。
この頃、機能訓練特化型のデイサービスを週1回半日程度開始したよね。
同年11月には、転倒を繰り返しながらも、四女の結婚式でバージンロードを歩く大役を務めました。
その時の様子はこちらの記事にまとめています。
2016年12月(82歳) 要介護2認定
この頃、転倒がかなり増えてきて・・・
要介護2の認定を受けました。
当時四女が同居していましたが、仕事でいない時がほとんどなので、日中の安否確認を兼ねて定期巡回のヘルパーに1日2回入っていただきました。
また、訪問看護とリハビリも開始。
福祉用具の4点杖をレンタル開始。
杖は、倒れるのは突然なのであまり役に立たなかったけど、持っていれば周りが気を付けてくれるかも位で借りてたなぁ。
外に出るときは持って行って!とお願いしたけど、「大丈夫」と言って持っていかないこともよくあったっけ。
ちなみに、2017年1月に四女が結婚のため転居。父の一人暮らしがスタートします。
日中はヘルパーさん、夜間は姉妹が交代で見に行っていました。
我が家の転倒対策、詳しくはこちらの記事をご覧くださいね!
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2017年6月(83歳) 転倒して救急車搬送・入院1回目
自宅で転倒して動けなくなり、救急車で総合病院(確定診断を受けた病院)へ。
硬膜外血腫でしたが、転倒を繰り返していたため古い血腫も見つかりました。
3日位で退院。
長く入院すると身体機能が低下するから、一日も早い退院をお願いしたんです。
なんと、この後に父を連れて四姉妹とその家族で大旅行!
無理かなぁと思いながらも、がんばって行っておいてよかった・・・。
旅行の際は、JALのプライオリティ・ゲストサポートにお世話になりました。
機内の細い通路も通れる特殊な車いすで、 慣れた職員の方が機内まで付き添ってくださり。
いろいろな方のサポートのお陰で、無事に楽しむことができました。
2017年7月(83歳) 転倒して救急車搬送・入院2回目
マンションのエントランスで倒れているのを近所の人が発見。
救急車で地元の大きめの病院へ搬送されました。
このころは転倒の危険から外出を控えていたけど、母の施設にバスで行ったり、銀行とか食材の買い出しには出かけることもあったんです。
倒れた時は、マンションのポストに郵便物を取りに行った時に倒れて立ち上がれなくなったんだと思います。
また救急搬送されたと連絡あった時は、姉妹でパニックになったよね~
2017年8月(83歳) 要介護4認定
一人で食べられなくなり、要介護4の認定を受けました。
転倒がさらに増えていて、自宅の壁に手すりをつけて、つかまって歩けるように工夫。
この頃、
- 定期巡回のヘルパーが1日3回
- ショートステイ月1回
- 歯医者の訪問診療(居宅療養管理指導)
を開始しています。
ショートステイは母が入所している施設へ。
ステイ中は母と一緒に過ごさせてもらい、父も母の様子が見れて安心してたよね
この頃、安全確認のため、家に防犯カメラを設置して、家族がスマホから様子を見れるように。
身体の機能が低下するから歩いて欲しいけど、バランスが取れないみたいです(>_<)
2017年11月(83歳) 身体障害者手帳交付
確定診断を受けた総合病院にお願いして診断書を書いてもらい、身体障害者手帳が交付されました。
区役所に相談して病状に見合った十分なケアを受けられるよう障害支援区分認定を申請。
この頃は、通院のため、マンションの階段で階段昇降機を使っていました。
階段昇降機は講習を受けた人しか使えません。短時間だけど、このために教えてもらいました。
2018年1月(83歳) 要介護5認定
一人では歩けなくなり、要介護5の認定を受けました。
口から食べるのが難しくなる問題(口が開かない、食べれない、飲み込めない)が出て来ましたが、本人が胃ろう等は希望していないと考えて、食べ続ける方法を模索することに。
この頃から食事はミキサー食。
食事をミキサーするためにブレンダーも購入。
ちなみに実際に購入したのは、器の中に突っ込んでブレンダーをかけるタイプ。
小分けにして冷凍する感じです。
食べ続けるために、地元の歯医者さんもすごく協力してくださり。
入れ歯を都度調整してくださったり、、、
父を介護する関係者が集まる「担当者会議」で、歯科医師からも、看護師さんや事業者、ヘルパーさんらに食べる時の姿勢や義歯の装着、口腔ケア等を指導いただきました。
口腔ケア(吸引くるりーなブラシ)で使うため、吸引器も購入しました。
購入した吸引器はこちらです。
吸引器に取り付けて使う吸引くるりーなブラシはこちら。
2018年2月(83歳) 月1回の訪問診療開始
ショートステイから帰ってからの飲み込みや動きの悪さに、看護師さんや理学療法士(PT)さんが心配して痰吸引の話が出てくるように。
痰吸引は本人も辛く、家族も同居していないから対応できないということで、家族としては口腔ケアでもうしばらく頑張りたいと伝えました。
看護師さんらが判断に迷ったら相談できるよう、往診に来ていただいたことがある内科の先生に月1回で訪問診療を依頼することにしました。
ちなみに、2018年6月(84歳)には、バリアフリーの住宅改修も実施。
歩くときは手を引いて転倒しないようにゆっくり歩行していて、車いすを使うことも増えてきたためです。
2019年5月(84歳)誤嚥性肺炎で3回目の入院
血圧、酸素飽和度低下と肺に雑音があり。検査したところ肺に影が。
誤嚥性肺炎のため、総合病院に入院しました。
誤嚥性肺炎でも、口から食べられる状態を維持したい!
医師の了解を得て、姉妹で交代で病院に行き、高カロリーゼリー等をスプーンで口に運び、食べてもらいました。食事後は口腔ケアを実施。
入院が長引くと身体機能が低下するため、これまでの入院同様、一日も早く退院するようにしました。
タイミングよく、ゆるねえが仕事を休んで同居してくれていて。頻繁に病院に行ってくれて本当に助かった・・・
この時の、入院から退院後の負のスパイラルから脱出した体験談は、4回シリーズで詳しくまとめています(^-^)
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2019年5月(85歳)ショートステイをやめて訪問入浴開始
これまでの通院は、定期的に総合病院に連れて行っていましたが、連れて行くのもだんだん困難に。
また、お風呂に入るためもあり、ショートステイに月2回程度行っていましたが、これも本人の負担が大きくなってきました。
ショートステイをやめて、訪問入浴を開始。
2019年6~7月(85歳) 誤嚥性肺炎からの回復を図る
誤嚥性肺炎で入院してから1ヵ月~2ヵ月。
負のスパイラルからの回復を、専門職の皆さまと、同居のゆるねえが懸命に対応してくれました。
痰の吸引は何回も!
起床時、食前、食後、就寝前はもちろん、痰が多い時は頻繁に吸引しました。
痰は粘ついて黄色っぽく、咽頭の残留物も多かったです。
車椅子で食事をしたが、、、
シーティングが上手くいかず、ベッドで食べているときよりむせが多くなりました。途中からヘッドサポートを付けましたが、楽に食べれていない感が、、、(>_<)。
37度前半の熱が2回ありました。 薬を飲むほどの高熱にはならず、数日で平熱に。
2019年7月後半~10月(85歳)車いすを変更
車いすを変更しました。
背もたれを少しリクライニングしてシーティングすると、あごがあがる、身体が傾く等が激減。
楽に食べることができ、誤嚥性肺炎で入院してから度々あった発熱もなくなりました!(^^)!
熱中症、脱水との闘いでもありました!
夏の暑い盛り、エアコンと扇風機で室温は24度前後にキープ。水分も多めに摂ってもらいました。
食事は、 一日で水分が約1200㏄、食事も1500カロリー程度摂取できるように!
2019年11月(85歳)初めての胃からの逆流
初めての胃からの逆流です。
食後約30分~2時間経ってから、急にあーっと声をあげ、お腹に力がはいったと同時にゲボッと喉元に飲んだものが見えたのです。
喉に溜まり吐き出せませんでしたが、すぐに吸引、誤嚥せずに済みました。
あせりましたよ~( ノД`)シクシク…気が付いた瞬間あごをひき、すぐ吸引。
吸引器が近くにあって良かった~(;^_^A
父も長く大きく声をあげてくれたので、喉に溜まった物が気管にはいらずにすみました。
胃からの逆流は誤嚥性肺炎のリスクがあるよね。お父さん、頑張った!
それからも逆流が頻繁にあり、食事、水分量を減らして対応することに(´;ω;`)ウゥゥ。
2019年1月(85歳)訪問栄養士さんによる栄養指導開始、口腔カンジダ発生
訪問栄養士さんによる、定期的な栄養指導を開始!
逆流や便秘の相談のほか、簡単でおいしいムース食のレシピも教えてもらいました。
また、初めて、口腔カンジダ(*)になりました。
舌に白いべたっとしたものがあり、 訪問看護師さんがいつもと違う白さだと気付いてくれて。
取り除いたら赤くてとっても痛そう(>_<)。
咽頭にも白いレース状のものが。
白いべたっとしたものは、見た目でカンジダだと分かりづらい!
固めの痰?よく飲んでいるメイバランス?と思うくらいでした。
それにしても、なぜカンジダが!?
抗菌薬は飲んでないし、殺菌作用の強いうがい薬(イソジン等の)も使ってない。
食事摂れているし、口腔ケアもできているのに(>_<)
痛みで食事量が低下するのが一番心配でした。
訪問診療、歯科の先生方も首をかしげるばかり。その時の身体の変化は、胃からの逆流。体調不良で免疫力低下?胃酸のせい?
患部に軟膏を数日塗ると、少しずつ改善しました。
この後、姉妹が夜だけ交代で介護をしたり、孫(ゆるねえの娘)が同居してくれたり、ゆるねえの子供たちが自立した後はゆるねえが来てくれたり等、父を取り巻く環境の変化もいろいろありました。
2020年6月(86歳) 口腔カンジダ2回目発生
2020年6月、また舌全体が白く、根元付近に赤みと出血が出て(>_<)
2回目の口腔カンジダ発生です。
口の中の乾燥防止に、口腔内に保湿ジェルを塗る回数を増やしました。
口腔カンジダの症状が2回出たのは、いずれも、目ヤニが増えて点眼薬(抗菌薬)をした時だと気が付きました。
訪問診療の先生と相談し、点眼薬は中止してみたところ、症状はほとんどなくなりました。
2021年2月(86歳)消化器穿孔と肺炎
しばらく安定していたものの、前月から微熱が続いていて、脈も速く、息が荒くなっていました。
日に日に力が弱くなっていって、横向きにしても手すりをつかんでくれないし、両腕が緊張なく脱力している感じです。
お腹を搔くようなしぐさも気になります。
「様子がおかしい!」と訪問診療の先生に相談し、介護タクシーで訪問診療母体の病院に連れて行って受診。
CTを撮ったところ、、、
右肺が白く肺炎になっていて、さらに、消化器穿孔(胃や十二指腸あたりに穴が開いていて漏れている)が判明。
消化器穿孔の方が状況は深刻で、胃腸に穴が開いているので絶食になります。
健常者なら開腹手術がよいですが、体力が持たないので手術は断念。
コロナ禍でもあり在宅介護で対応することにしましたが、医師から「このまま看取り対応」と言われて緊張が走りました。
でもその後、父が驚異的な回復力を発揮!
在宅での抗生剤の点滴を3週間程度行い、消化器穿孔と肺炎は落ち着きました。
看護師さんたちからは「まるで不死鳥」と言われるほど。
また口から食事をしていいと許可が出ました!
お父さん、本当によくがんばった!( ;∀;)
2021年4月(86歳)肺炎再発
便も通常便になり調子が戻ってきたところで、父の様子がまた不安定に。
熱感はないものの、呼吸が荒くなり、食事が進まず、手が不穏な様子でよく動くのです。
訪問看護師さんにお腹の音を聴いてもらったところ「金属音のようないつもと違う音がする」と。
訪問診療の医師とも相談いただき、救急車で病院に向かうことになりました。
病院でCTを撮ったところ、また肺炎との診断でした。Σ(゚д゚lll)ガーン
医師と相談し、抗生剤の点滴に加え、酸素吸入を在宅で行うことに。
訪問看護師さんは最初、腸閉塞を疑ったようでしたが、実際は心配した消化器は大丈夫でした。
実は、病院に運び込まれてから短時間で呼吸がとても苦しそうになり、血中酸素濃度も低下。
普段をよく知る訪問看護師さんの適切な判断により、救急対応で一命を取り留めた形でした。
2021年5月(86歳)父が天に召される
4月上旬の肺炎の診断以降、肺炎の治療としての抗生剤の点滴は終了していましたが、嚥下の回復が良くなく、絶食は続いていました。
まるで植物が枯れるように、みるみる体が細くなっていきました。
目を開けてくれない日も続くように。
でも、驚くほど穏やかに、好きな音楽や生活音を耳にしながら過ごせていました。
5月25日、朝9時半頃。
朝のヘルパーさんが帰った後、ゆるねえがサチュレーションを測ったところ、数値が異様に低下していることが判明。
いよいよだ……と気づいたゆるねえが、妹たちそれぞれに電話をかけて「いよいよだから来れたら来て」と。
妹たちは全員会社に出勤していましたが、急きょ実家に集合。
旅立とうとしている父のもとに寄り添うことができました。
孫たちも駆けつけ、皆で父を囲んで手足を撫でて、思い出話を語りあいながら。
息を引き取るまでの1時間半。
穏やかで感謝に満ちた、とても素晴らしい時間でした。
お葬式の日は、なんと父の87歳の誕生日。
母も施設から一時帰宅し葬儀に参列することができました。
これまで支えてくださったヘルパー事業所の皆さま、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ、訪問歯科の先生方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。
最後にまとめてみましょう。
まとめ
この記事では、進行性核上性麻痺の父の経過をお伝えしました。
- 2014年1月(79歳)後ろによろめく症状が出始める
- 2015年11月(81歳) 地元の脳神経外科初診
- 2015年12月~2016年1月(81歳) 総合病院受診&確定診断
- 2016年5月(81歳) 要支援2認定
- 2016年12月(82歳) 要介護2認定
- 2017年6月(83歳) 救急車搬送・入院1回目
- 2017年7月(83歳) 救急車搬送・入院2回目
- 2017年8月(83歳) 要介護4認定
- 2017年11月(83歳) 身体障害者手帳交付
- 2018年1月(83歳) 要介護5認定
- 2018年2月(83歳) 月1回の訪問診療開始
- 2019年5月(84歳)誤嚥性肺炎で3回目の入院
- 2019年5月(84歳)ショートステイをやめて訪問入浴開始
- 2019年6~7月(85歳) 誤嚥性肺炎からの回復を図る
- 2019年7月後半~10月(85歳)車いすを変更
- 2019年11月(85歳)初めての胃からの逆流
- 2019年1月(85歳)訪問栄養士さんによる栄養指導開始、口腔カンジダ発生
- 2020年6月(86歳) 口腔カンジダ2回目発生
- 2021年2月(86歳)消化器穿孔と肺炎
- 2021年4月(86歳)肺炎再発
- 2021年5月(86歳)父が天に召される
進行性核上性麻痺って、あまり情報がない・・・
姉妹で調べたり講演会を聞きに行ったり、試行錯誤しながら介護してきました。
このような経過を辿った父の経過が、少しでもあなたの参考になれば嬉しいです。
以上、四姉妹ブログの『進行性核上性麻痺の闘病記録!79歳から始まった父の病歴をご紹介』でした。
両親を介護する四姉妹の実体験は、当ブログの他の記事でもお伝えしていきます(^-^)
コメント
4姉妹でお母様とお父様の介護をされていらして、とても大変でご苦労の多いこととWebを拝見して感じました。
実は私の義父がお父様と同じ進行性核上性麻痺の診断で現在入院加療中です。
今年(2020年)のお正月に妻と子供たちと妻の実家でお正月を楽しみ、その際は多少動作がゆっくりなところもありましたが、年齢的な(78歳)こともあり、認知症(認知症治療薬を服用中)も落ち着いてきたかなと思っていた矢先に転倒して起き上がれないということで救急搬送されました。(義母はリウマチのため義父を起こすことができないのです)
その後神経内科の先生から進行性核上性麻痺を診断をいただき、現在入院中です。現在はコロナウイルス感染予防のため娘である妻も面会はできず、義父の様子が心配です。
このWebを拝見して4姉妹皆さんで協力してご両親の介護にあたっておられる真摯な姿勢に感銘を受けましたのと、義父と同じ病気で苦しんでおられる方がいらっしゃることを知ることができ、心が少し軽くなりました。ありがとうございます。これからも無理なくご両親の介護を続けて行かれることを願っております。
たけうち様
義理のお父様が進行性核上性麻痺で入院中とのこと。慌ただしい中、コメントまで残してくださり大変ありがとうございます。お義母様はリウマチがあり、お義父様が診断を受けられたということで、退院後はご家族の踏ん張りどころですね。我が家の父は、初期の頃転倒が激しく、病気の特性から楽観的で行動が大胆になりました。同じ病気でも症状は異なるとは思いますが、今後も記事を追加していきますので、何かの参考になれば幸いです。同じ病気のご家族の方と繋がれてこちらこそ励みになります。今後ともよろしくお願いいたします。