要介護5の在宅介護は無理?母が特養から帰宅して8ヶ月目の感想

要介護5の在宅介護日記
三女もよ
三女もよ

こんにちは!認知症の母を在宅介護をしている、四姉妹三女のもよです

ネット上で「要介護5は無理?」という質問を見ました。

介護の在り方は、病状や家庭の事情により千差万別! 無理とかできるとか、一概には語れませんよね。

とはいえ、父と母が要介護5でも在宅介護してきた私たち。このたび、認知症で要介護5の母が特別養護老人ホーム(特養)を退所して、はや8ヶ月経ちました。

病床の母との生活にも慣れてきたので、気軽に、今思うことを書き残してみようと思います。あくまでも我が家の場合ですが、一例として参考にしていただけたら幸いです。

要介護5の在宅介護は無理?悩む人に伝えるなら

私も以前は「要介護5で在宅介護なんて無理!」と思いました。
実際にやってみてから考え方が変わり、人生を締めくくる一つの選択肢として「要介護5の在宅介護は前向きに捉えられる面もある」と思っています。

お伝えしたいことは2点あります。

要介護5はコミュニケーション上の辛さが少なくなった!

あくまでも母の場合ですが、要介護5の在宅介護は、要介護4までと比較すると、行いやすくなったという印象です。

なぜなら、介護で何が大変と感じるかは人それぞれですが、、、
私個人の印象としては、一番大変だったのはコミュニケーション

要介護5は、要介護認定7段階のうち一番重度の状態です。寝たきりのことが多く、家族とコミュニケーションが取れない場合がほとんど。特に認知症の場合、反応がないことで難易度が下がっているのではと思います。

認知症の母が要介護1~4の頃は、同じ発言をくり返したり、見当違いなことを言って言い合いになったり。

父に反論できない母は必死に抵抗し、取っ組み合いになったり、父の腕に噛みついたこともありますました。一人で歩けた頃は「(家にいるのに)家に帰りたい」と外に出て行方不明になってしまったことも(徘徊)。

三女もよ
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家族からのコミュニケーションが未熟だったこともあり、母にはつらい思いをさせてしまいました

以下の写真のように、家のドアには内側から開かないようにする道具(サムターンカバー)を取り付けて、外に出たい気持ちを諦めてもらえるようにもしました。どうしようもなかった切ない思い出です。

ドアノブの上の黒い丸が「サムターンカバー」です

ちなみに「介護で大変なことランキング」というものをネットで見ました。
下表のとおり、やはり1位は「相手とのコミュニケーション」!

引用元:介護の情報サイト ハートページナビ
三女もよ
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もちろん、夜中も痰吸引などの医療的ケアが必要な場合等もあるでしょう。
ひとくくりには言えませんが、コミュニケーションの課題の有無は、お互いのストレスにかなり影響する気がします。

 

次は2つめです。

要介護5は介護サービスが使いやすい!

要介護5の場合、介護サービスが使える幅が広がっているため、福祉の支援が受けやすい面があります。

要介護5の人は、自分で動くことがほぼできません。食事、排泄等の他、褥瘡(床ずれ)を防ぐための体位変更等、まわりの人のこまめな世話も不可欠です。

施設にいれば施設の職員さんがやってくれることを、全部在宅で行います。家族の精神的なプレッシャーは大きいです。

とはいえ、福祉の支援が受けやすいですから、全てを家族だけでやる必要はありません。訪問診療、訪問看護、訪問介護、訪問歯科、訪問リハ等多くのサービスが利用できて、チームで協力してくださいます。

もちろん家族が行うことも多々ありますが、要介護5になってから、介護を嫌がることがなくなったのも有難いです。余談ですが、娘としては、まるで全てを乗り越えた仙人と向き合っているかのよう。

三女もよ
三女もよ

これまでの辛かった介護の思い出は遠ざかり、愛おしさが増してきたのは不思議です。

いざという緊急事態もあるでしょう。でもその時はその時。

介護のルーティーンがうまく回ってからの話ですし、我が家はマンパワーが比較的あるため苦労が分散されている面もありますが、「おはよう」と母に挨拶できることが有難い毎日です。

要介護5の親を在宅介護してきた経緯

ここまで話をしてきて、父と母の介護の経緯が気になる人もいるかも知れません。以下、簡単にお話しますね。

我が家の場合、2000年頃から母に「アルツハイマー型認知症」の症状が出始めました

母が要介護5になっても在宅介護を続けてましたが、2014年頃、父が神経性の難病「進行性核上性麻痺」にかかりました。

父の病気が発症したことで、私たち娘は実家で父を在宅介護することに。私たち姉妹も全員仕事をしていましたし、二人同時の介護は難しかったため、母には特別養護老人ホームに入所してもらいました。

その後父の在宅介護が7年ほど続き、2021年5月に父を家族全員で看取りました。

その後1年近く経過して、2022年4月に母が特別養護老人ホームを退所して今に至ります。

胃ろうや経管栄養はしないと決めていたので、施設で看取るか在宅に切り替えるかの2択でした。

三女もよ
三女もよ

「せっかく特養に入所できてるのになぜ退所!?」と驚かれるかも知れません

特養を退所した経緯は、、、
退所の1年ほど前、施設から「口から満足な食事量を提供するのは難しくなっている」と相談され、看取りを踏まえて緊急対応などの検討を促されてました。

そんな中、徐々に食事の時間内に食べられないことが増え、体も痩せて、あと数週間で看取りといわれる程の状態に。

施設で看取る場合、コロナで会うことができない上に、看取りまでの間の介護も十分ではありません。
加えて、約7年も施設にいた母の思いは「家に帰りたい」だろうと想像し、姉妹で検討した結果、施設を引き上げて在宅で看取ることにしたのです。

母が帰宅した当初は看取りが前提でしたが、在宅介護を始めたところ表情は大きく変わり、まるで別人のように穏やかになりました。食事量は維持できて、体調も安定。時間の経過とともに、看取りの緊迫性は遠のきました。

体の拘縮(ちぢこまり)や反応のなさ等、困難な状況は変わりませんが、今は介護サービスを受けながら、姉妹で交代で介護することで、ゆったりと過ごせている状況です。

施設では一人ひとりに世話ができる時間に限りがあります。我が家は「口から食べられなくなったらその時」と考えていましたが、食事が進まなければどんどん痩せてしまうのみ。

在宅に切り替えてから分かったのは「母の場合は、食事介助する時間がゆっくり取れさえすればまだ生きられる」ということでした。人の命について、考えさせられるばかりです。

情報がない中で「要介護5の在宅介護は無理」と決めるのは早いかも

父と母の在宅介護を通じて私たち四姉妹が目指してきたのは、人生のソフトランディング(軟着陸)。飛行機が着陸するときのように、外の景色を肌で感じながら穏やかに人生の幕を下ろして欲しい。私たち娘も、ラストの場面に立ち会えたら嬉しい、というそれだけです。

今、安定してやってこられているのは、在宅介護を支えてくださる専門職の皆さまのお陰です。

様々な状況を乗り越えて、支えられて今がある状況ですが、総合的にみて、在宅介護をしてよかったと思っています。

一般的に「要介護5の在宅介護は無理」と判断されることは多いと思います。実際、ご本人の体調や家族の状況によっては現実的でないことも多々あると思います。

ただお伝えしたいのは!
もし家族が家で看取りたいとき、情報がない中で「無理」と決めてしまうの早いかも、ということ。

気になる方は、まずはケアマネージャーさん等に相談してみては如何でしょうか。各ご家庭の状況に応じた方法があるかもと思います。

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以上『要介護5の在宅介護は無理?母が特養から帰宅して8ヶ月目の感想』でした。

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三女もよ
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当ブログでは、進行性核上性麻痺だった父と認知症の母の在宅介護について、参考情報を掲載しています。ぜひ他の記事もご覧ください。

父は、要介護5で他界するまでずっと在宅介護でした。
父の経過は以下の記事にまとめています。ご興味あれば、こちらもぜひお読みください!

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