要介護5の母を在宅で看取った実録3週目:ゆるやかな回復からの最期

要介護5の在宅介護日記
三女もよ
三女もよ

こんにちは。要介護5の認知症の母を四姉妹で介護していた、三女のもよです。

認知症の母を在宅で看取った経過について、「発熱」、「治療」、「看取り」の3本に分けて詳しくお伝えしています。

この記事は看取りシリーズの最終回。3週目「ゆるやかな回復からの最期」として、母がどのようにして人生の幕を降ろしたのか、その経過について書きました。

前回までの記事をまだ読んでいない方は、ぜひこちらからどうぞ!

では早速、全体感からお話しましょう。

腎盂腎炎と敗血症から回復を果たした後に

前回は、点滴による治療が始まり、苦しみながらもその効果が見え始めたことについてお話ししました。

その後、母は痛みを見せることもなく、唸る声も止み、顔色も穏やかになってきました。

三女もよ
三女もよ

ここから、発熱前の日常に戻ろう!と期待した矢先のことでした

ゴールデンウィーク中、一人ひとりの娘からケアを受けた母。安堵したのか、徐々に体の機能が落ちていったのです。

最も辛そうで痛々しい時間を過ぎていたことは、悲しみの中でも救いでした。

看取りの日は、朝から普段と違って目を大きく開けていました。まるで周囲を観察ていたのです。

三女もよ
三女もよ

普段は意識が曖昧な母でしたが、この日に限りはっきりとした様子を見せていました。
 
嬉しくて、つい、スマホで動画を撮ったほど。

この日から支援を再開したヘルパーさんから「腕とお腹のむくみが異常ではないか」との指摘を受け、看護師さんにも確認してもらいました。

看護師さんは医師と電話で相談した結果、腕の点滴を止め、お腹からの抗生物質だけを皮下投与することにしました。

三女もよ
三女もよ

点滴の管が体から外れ、久しぶりに発熱前の母が戻ってきたような感覚になりました。

その後、久しぶりに「良い便」が出て、ヘルパーさんが手際よくきれいにしてくれました。ケアマネージャーの方も見に来てくださり、「良くなってきてよかったね」と言っていただきました。


ヘルパーさんとケアマネージャーの方が帰り、私が順調に食事を提供した数時間後のこと。

 

穏やかに眠っていた母に、看取りの兆候が現れてきたのです。

 

それは明らかな「下顎呼吸かがくこきゅう」というものでした。

下顎呼吸とは、終末期や意識障害における呼吸困難の症状として認められる呼吸である。下顎を上下させ、口をパクパクさせてあえぐような努力性の呼吸で、呼吸中枢の機能をほぼ失った状態でみられる。死期が近づいている徴候の一つとされている。

引用:看護roo!カンゴルー  https://www.kango-roo.com/word/10419

「下顎呼吸」は以前に姉妹と受けた「看取り研修」で学んだ言葉。でも、実際に看取りの時が来るとは思えず、それが自分に直接関わる事態だとは感じていませんでした。

三女もよ
三女もよ

下顎呼吸がはじまったとき、そばにいたのは私一人!
こ、これがそれなんだ・・・!

下顎呼吸は、人によりけりのようですが、母の場合は「ゴーッ、ゴーッ」という音とともに起きてました。

決して苦しそうではなく、ただ、顎を下げるような呼吸とともに、奇妙な「音」がするんです。

三女もよ
三女もよ

ああ、死期が近づいたんだな、と感じさせる音でした

緊張しながら、遠方に帰ったばかりの姉ゆるねえに連絡し、LINEグループのビデオ通話でつなぎました。

長女ゆるねえ
長女ゆるねえ

母の様子をみて「ああ、いよいよかも知れないね」と話しました。

元々舌根沈下ぎみなので、舌が気道を塞いで苦しくならないように、もよに体を少し横向きにしてもらいました。


看護師さんに電話したところ、すぐ来ていただけることに。姉妹と家族全員には、姉のゆるねえが連絡してくれました。

看護師さんは、母の発熱からずっと見守ってくれていた人。母の部屋から出て私を手招きし、以下のことを話して退室されました。

  • 下顎呼吸がいつまで続くかは人それぞれです。1~2時間が多いですが、1日以上続く人もいます。落ち着いて見守ってください。
  • 呼吸は止まっても、また復活することがあります。
  • 呼吸が止まって5分経ったら、電話ください。
  • 口や鼻などから液体がでてくることがあります。
  • 訪問看護でもエンゼルケアを引き受けられます。(有料)
  • 葬儀社に連絡するとすぐに連れて行かれてしまうこともあるようです。お別れの時を過ごせるよう、引き取りの時期は相談できるといいですね。

三女もよ
三女もよ

エンゼルケアとは、人が亡くなった後に体を清めたり、化粧などを施すことです。
看護師さんにお願いするかは、呼吸が止まってから、姉妹と相談して連絡することになりました。

 

「耳は聴こえているから、ぜひ感謝の言葉をかけてください」とのお話もありました。看護師さんの言葉の一つ一つが、とても心強く感じられました。

その後、次女ちゅうちゃん、四女けろたん、夫らが実家に集合。
遠方の長女ゆるねえ一家と、一人暮らしの姪たちもLINEビデオ通話で繋がりました。

母を皆で見守れるように、介護ベッドを母の部屋からリビングに移動しました。(介護ベッドは足元がキャスターなので母が寝たままでも移動可能)

写真はその時に姪の一人が撮ってくれたスクリーンショットです。

その後母は、2時間ほど感謝の言葉を浴びながら、目から小さく涙を流し、微笑みを浮かべるように穏やかに息を引き取りました。

皆が集まりやすいゴールデンウィークの最終日の夜を選んだ旅立ちでした。すべてを計算したかのような、”家族第一の母らしい最期”といえる看取りだったと思います。

三女もよ
三女もよ

呼吸が止まって5分経ち、看護師さんに電話。連絡をうけた医師が1時間後くらいに到着。状態を確認し、死亡診断書を書いてくださいました。日曜日で主治医が不在だったので、いつもとは別の先生でした。

 

死亡診断書の「死亡の原因」欄には「老衰」と書かれました。このことはなぜかホッとするものがあり、母に「よかったね」と半べそで声をかけました。

 

時刻は夜8時頃。予め決めていた葬儀社等にも連絡しました。引き取りはいつにするか聞かれ、翌日昼を提案されましたが、遠方のゆるねえが来てから一夜が過ごせるよう、引取は翌々日にしてもらいました。

 

エンゼルケアは、看護師さんには依頼せず、姉妹だけで行いました。水が出てきたのは口からほんの少しだけ。植物が自然と枯れるような、美しい姿でした。

 

毎日の介護記録

看取りまでの経過について、毎日の記録から振り返ります。

(4/29~5/7)
  • 4/29(土)
    姉妹が温活・エステマッサージ

    尿量は昨日より増加し170cc。点滴も腕から順調に入り続けている。


    昨日の危機感は去った感じで母の表情もホッとしているよう。姉妹が顔をホットタオルで温めたり、体をマッサージ。まるでエステ!

    痛そうな唸り声は、ほぼなくなった。

  • 4/30(日)
    尿量が増え、長女ゆるねえが来る

    尿量は220ccに増加。少ないながらも昨日より50cc増えて、よい兆し。ただ、むくみは腕までひどくなり、タプタプに。

    三女もよ
    三女もよ

    細かった腕が、むくみにより別人のようでした。

    長女ゆるねえが、母の介助のために遠方から到着。ゆるねえがいる間のヘルパーさんはキャンセル。

  • 5/1(月)
    尿量さらに増加!敗血症状態は離脱!食事と訪問入浴も許可

    尿量は300ccに増えた!

    訪問診療では、ポータブルのエコーで心臓をチェック。動きは良好。敗血症状態は離脱できている。口からの食事と訪問入浴も許可いただけた。(やった!)

    嚥下機能が低下しているため、食事はヘルパーさんではなく家族から。

  • 5/2(火)
    夜は賑やかに

    尿量は前日同様の300cc。夜は孫の誕生会を兼ねて、集まれる家族が実家に集合。母の周りで賑やかに過ごした。口からの栄養摂取もできた。

    母も着替えてエレガントに
  • 5/3(水)
    むくみは強いが穏やか

    尿は同様の300cc。むくみがつよいが、リンパ漏等はなし。点滴も腕から順調に入っている。

    手指までむくむように
  • 5/4(木)
    尿量増え、口からの食事量も増加

    尿量450cc。前日より150ccも増えた。むくみが強いのが気がかりなので、皮膚に気をつけながらマッサージ。長女ゆるねえ帰る。

  • 5/5(金)
    口の動きは良くなっているが飲み込みは改善せず

    尿量330cc。家族だけの対応継続。

  • 5/6(土)
    訪問入浴でお風呂に入れた!

    尿量400cc。食事は、口を開けたまま飲み込もうとするので、手で顎の動きをアシストしながら。

    久々に訪問入浴を利用できて、体もさっぱり!四女けろたんが点滴を手に持って対応。

    訪問入浴のイメージ写真。数ヶ月前に撮りました。
  • 5/7(日)
    穏やかな看取り

    16時頃から「下顎呼吸」が始まり、姉妹、看護師に連絡。

    下顎呼吸から約2時間後に、家族に囲まれ微笑みを浮かべながら、穏やかに永眠。

3週目と看取りの感想

さいごに、姉妹の感想です。

三女もよ
三女もよ

看取りの数時間は、出産にも似た、宇宙の神秘を感じさせるような美しいひとときだったと思います。

 

亡くなった翌日に、主治医の先生から電話をいただき、経過を報告しながら涙ながらにお礼を伝えました。医師、看護師さん、ヘルパーさん、PTさん、STさんなど専門職の皆さんがチームとなって対応くださり、感謝しかありません。「チーム◯◯子←母の名前」のようでした!

 

いろいろ大変ではありましたが、在宅介護をしてよかったと強く思いました。

長女ゆるねえ
長女ゆるねえ

一年前、食べることが難しくなり施設を退所した母。在宅では食事量は少なく低燃費で低空飛行を続けていました。飲み込みが悪いうえに10日間の禁食だったため、そこからの上昇(回復)は難しいと覚悟していました。

 

奇跡を願いましたが、母は着陸することを選んだのだと思います。
 
私はちょうど熱が下がり痛みがおさまったときに会えていました。
看取りのときは妹がライブ通話にしてくれたので、最期まで言葉をかけ続けることができ、側にいなかった後悔はありません。
 
死亡診断書の「老衰」には涙がでました。痛みや辛さがなく穏やかな表情だったのでホッとしました。

次女ちゅうちゃん
次女ちゅうちゃん

65歳で認知症を発症した母は、20年の時を経て、85歳で永眠しました。母には長い期間、ほんとうにお疲れさまと言いたいです。
 
母は、施設を退所してからは驚くほど顔が穏やかになりました。看取り覚悟で「あと数週間」と言われて帰宅した1年前とは別人のよう。
 
「知らなかった後悔」はいちばん辛いと思います。一度入所した人でも、場合によっては、帰宅する選択肢があるかも知れません。我が家の体験談が、介護家族の検討の一助になればうれしいです。

四女けろたん
四女けろたん

旅立つ直前にも、口から食事がとれていた母。普段の延長線上に近い、穏やかな時間が取り戻せた奇跡のような1週間でした。

 

後日、棺には母が好きだった郷里の食べ物を沢山おさめました。天国でお父さんと一緒に食べてね、と。食べ物に囲まれて微笑みを浮かべる母の姿は一生忘れません。

ちなみに、このピンクのおしゃれ着、母に似合っていませんか?

     亡くなる5日前、孫の誕生会の写真を再掲

なんと、亡くなった後にも、母に着てもらったんですよ。

一枚ブラウスを着た上にこの服を重ね着し、葬儀社に引き取られるまでこの服装で過ごしました。

この服は2年前、父が亡くなる直前に、母のためにケアウィルさん(https://www.carewill.co.jp/)に作っていただいたもの。展開図のような一枚布なので、亡くなってからも脱ぎ着が容易でした。この服は今も、母の形見として取ってあります。

↓2年前、施設から一時退所した際の母です。

母は最期まで褥瘡じょくそうもなくとてもきれいな皮膚状態を保てていました。
それに加えて、人生の舞台のラストシーンで、本人らしい服を着てエレガントでいてもらえたことは、家族としても純粋に嬉しかったです。

 ◇ ◇ ◇

以上、母の看取りの実録を3回シリーズでお届けしました!いつか訪れる日の心構えとして、少しでも参考になる情報があれば幸いです。

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